藤丸 智史(シニアソムリエ)

高校生の時に一流ホテルの宴会場でアルバイトを始める。この頃、現在のパートナーである福井、中村と出会う。宴会場ではあったが、高級レストラン並みの厳しい職場でサービスの基本、心構えを半暴力的に叩き込まれる。進学したがほとんど学校には行かず、アルバイトばかりの毎日。さらに、当時の宴会飲料部のボスだった米沢さんがワインバー ナジャを自宅から徒歩1分の所にオープン。本当のプロのサービスに衝撃を受ける。で、いつの間にかカウンターの向こう側に。ここで人生が決まる。
卒業後、大手飲食チェーン店で店舗管理の仕事を2年、飲食店の数値管理、法律、理論を学ぶ。その時は気付かなかったが、今の仕事で大いに役立っている。
友人がマネージャーをしていたリストランテで浅井シェフ(イ・ヴェンティチェッリ)の料理を食べた。頭をぶん殴られたような衝撃だった。で、いつの間にかそのリストランテのホールに立っていた。イタリアワインが大好きになった。
ある晩、ナジャに呼び出され、その翌日から地元の30席ほどのトラットリアを任されることになる。シェフ・スタッフは不在、現金30万円だけを渡され、オーナーは翌日から海外移住。この頃、まだ20代半ば。ストレスから胃が悪くなるという初めての経験をする。数ヵ月後、このお店でシェフとして迎え入れたのが現ラ・バッロッタの星山シェフ。この人とずっと一緒に働きたいと本気で思った。
自分でワインを選ぶ立場になり、ワインへの好奇心が抑えられなくなる。終電で市内に飲みに出かけ、始発で帰る。もしくは朝までナジャの毎日。すべてを自己投資に使う。ワインにとり憑かれ海外を目指すことになる。でも、なぜか南半球。
ヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランドと2年半放浪する。レストランやワイナリーで働く。運命的な出会いが沢山あった。ワインに人生を懸けることを決めた。
シドニーで飲んだKUSUDAピノノワール2002との出会いは人生の中で最も大きな事件だった。で、いつの間にか楠田家に居候していた。畑で働いた経験も貴重だが、醸造家と毎日食事をともにさせてもらったことが、とても大きいように思う。ワインだけでなく、大切なことを学んだ。
南島を旅行中、ワインショップとして独立することを決心し、そのまま帰国。その10日後、お店の賃貸契約を済ます。その1ヶ月後オープン。ただ、知り合いに案内を出す時間(とお金)さえなかった。この時、自分にあったのは勢いだけだったような気がする。オープン後、自分が酒屋の経験がないことに初めて気付く。大変だったけど楽しかった。
現在、街のワインショップとして、自分を育ててくれた飲食業界への恩返しの為にワイン卸として、時にコンサルタントとして、ワイン業界の為に啓蒙活動の一環としてワインスクールで講師として、毎日を全力で生きています。


福井 英太(シニアソムリエ)

大学進学と同時に某一流ホテルの宴会場にてアルバイトを始める。当初は高収入を得られるというのが勤務する一番の理由だった。しかし、宴会場では考えられないような料理の素晴らしさや選択されたワインのクオリティーに感化され次第にサービスの仕事、特にワインに対して興味を持ち始める。最も影響を受けたのは宴会飲料部のシェフソムリエ米沢さんが独立し、「ナジャ」を開店させた事。まだ学生で将来を決めかねていた当時、こんなにも魅力的な仕事があるのか!と今までに経験のない新しい世界に衝撃を受け、通いつめるうちワインを扱う仕事に就こうと決意。
ただ、将来独立して自分の店を持った時の事を考えワインよりもまず店舗運営を学ぶ事を選択。某大手飲食チェーンに就職することに。ワインから少し遠ざかった時期だが、現在にも繋がる貴重な経験を5年間積む事となる。
そろそろワインをより深く学びたいと考えていた矢先、ホテル時代の上司に当たる山本さん(現ラシャンパーニュ オーナー)にポンテベッキオに来ないかと声をかけられ2つ返事でOKする。ワインという分野において他の人より遠回りしてき為、今までの遅れを取り戻そうと必死になってワインに取り組んだ。何よりも恵まれていたのはワインにのめりこめる環境が整っていた事だった。入社後まもなく先輩ソムリエの異動や退職などが続き、気がつくとシェフソムリエという立場に。イタリアワインはもちろんフランス、ニューワールドまで非常に多くのワインと接する濃密な4年間を過ごす。現在のワインに対する考え方や趣向もこの頃に感じた事、経験した事が大きく影響している。自身の味覚、求められる味わい、経営的に必要な事、そのすべてを含めて自問自答、葛藤を繰り広げながら多くのワインを取り扱う。ワインと接する事に対して自由さと不自由さを感じたのもこの頃。ソムリエとしてどうすればより多くの人に自由にワインを楽しんでもらえるか?を考え、真剣にワインとお客様に向き合った時期でもある。
ポンテベッキオ在職中に藤丸が帰国、ワインショップFUJIMARUを開業。レストランとワインショップという関係を1年間続けていくうちに、ワインに対するスタンスや業界への接し方に共感を受ける。独立することを目標に一生懸命14年間働いてきたサービスの仕事を続けるか、今までの経験を原資にサービス業を支える仕事に就くかを悩んだ結果。当時のワインの流通をもっと良くしたい。沢山の人がワインをもっと自由に楽しめる環境を整える手助けをしたいと考えワインショップの仕事を選択。
現在では人との繋がりや人の優しさを今まで以上に感じられる環境に喜びを覚えています。小売、業務卸、イベント、ワイン造りに留まらず、多彩なワインに関わる活動の全てが私達の仕事ととらえ、今後もワインを通じて多くの人に幸せを感じてもらえるような活動の一端を担えればと考えています。


中村 賢一郎(シニアソムリエ)

学生時代に友人の紹介で、ホテルの配膳のアルバイトをしたことが飲食業界に入るきっかけとなる。地方から出てきた私には、大阪、しかも一流ホテルのスピードについて行くのが精いっぱいの日々だった。
その後、西宮・門戸厄神のリストランテ ぺぺにてレストランサービスをスタート。ワインと料理にのめり込むきっかけとなるシェフとマネージャーに出会う。ある造り手の90年バローロに強い衝撃を受け、ワインの熟成という事に興味を持ち始める。
同時期にホテル時代の上司だった米沢さんがワインバー ナジャをオープン。昼はリストランテ、夜中はナジャという日々を過ごす。南仏のレグリエールという偉大なワイン、ロックの90年ヴォーヌロマネ クロ・ゴワイヨットがワインの幅を広げる大きなきっかけとなる。藤丸と同じ職場はこれで2回目。
当時は、片っ端からワインという名の付く本を購入し、読み漁り、有名なソムリエがいると聞けば、色んなレストランに行き、ワインと料理のマリアージュを体感し、ソムリエと目指すようになる。
5年後、ぺぺから堺筋倶楽部アンブロシアに異動となる。イタリアン、フレンチ、一般宴会、ブライダルと多角的な業務をこなす。さらに新店イルパッソのオープンがあり、トータルマネジメントを勉強する。在職中に藤丸が帰国し、ワインショップとして独立。取引をしていくうちに信頼関係がさらに深まる。
ステップアップの為、退職することを決意。当初、ホテルやグランメゾンを中心に就職先を探していたところ、藤丸からの誘いを受ける。営業職、配送業務など未経験の仕事が多く、かなり迷ったが熱意と今後のヴィジョンに共感し、思い切って転職。これで藤丸と同じ職場は3回目。
ワインのように熟成とまではいきませんが、人間的にも仕事的にも深みが出るように励んでいます。


稲垣 剛(ソムリエ)

大学時代 神戸北野町のバーでアルバイトをスタート。卒業後、そのバーの新規店舗立ち上げのため、レストランや居酒屋で調理スタッフとして研修。見よう見真似で料理らしきものを作りはじめ、新店舗の料理担当者になった。レストランバーという名前が聞かれ始めた頃で、いろんなジャンルの料理に挑戦したが一番好きでよく作っていたのはイタリア料理だった。当時、三宮にはまだ数件のワインバーしかなかったが、仕事帰りに立ち寄り、ワインについては勿論、集まるお客さんの顔ぶれ、話される会話の内容に異次元の世界への憧れをもってそのカウンターに座っていた。
憧れはフレンチレストランへと向かい、サービススタッフとして3年余りをレストランで過ごす。シェフ、マダム、上司のソムリエはじめ、数々の先輩OBや後輩との人間関係は私にとって今でも大きな財産になっている。
その後、ワインショップが経営するカフェに転職し、梅田で働きはじめる。神戸とは違った街の雰囲気に懸命についていこうとしていた。大阪のバイタリティーと多様性を遅まきながら体得していくのだった。
2年後、同経営の新規店舗として天ぷらとワインをコンセプトとしたレストランの立ち上げ及び責任者となり、約1年その職に就いた。ワインと和食との組み合わせはもはや珍しいものではなかったが、その相性の良さ、新たな組み合わせを研究できたことは、現在もワインの提案に役立っている。
人事異動により、ワインの業務卸営業担当となり、神戸、阪神間、大阪、京都、時には姫路にも営業に出かけることになる。行動範囲の拡大とともに対人関係の量も増え、レストランとはまた違った新たな職業を体験していった。活動を店外に求め、そのステージを作っていくことが大きな役割となった。ただ、この会社の倒産により営業職は中断した。
失業直後、突然、藤丸からの熱心な誘いがあった。自分の中でレストランへ戻るか、ワインの営業職へ戻るか、かなり迷った。出した答えはワインショップへの再就職。自分にとって営業職がまだ志半ばであること、まだまだできることがあるはずだと思ったことが主な理由。
新たな職場、取引して下さる方々に感謝しつつ、少しずつでも前進していけるよう、また、安心してワインを任せていただけるように日々努力しています。


片寄 広朗(フランス醸造技術士)

ワインを初めて飲んだのは小学校低学年頃。友達に「ワインってめっちゃおいしいでー」と言われ飲ませてもらったことが始まり。(十数年後それがブドウジュースだった事に気付く・・・)そのころから「ワイン」という言葉が脳内の一部でテリトワールを築いていたように思う。
本格的にワインを飲み始めたのは学生の頃のワインバーでのアルバイト。その頃はアスティ・スプマンテやドイツのピースポーターなどの残糖があるものやガス含有ワインが好きだった。そのまま、このワインバーを経営する会社に就職し1年後、転勤先の店で主任として配属されてきた人が藤丸さんでした。ワインを扱うお店でないということもあり、退職し、ワインの本場フランスを死に物狂いで1周する。帰国直前に行ったBistro du Sommlier(世界ソムリエ フォール・ブラック氏の店)で素晴らしいマリアージュを体験し、本物のプロフェッショナルとはどういうものかを知る。
帰国後、藤丸の紹介でモードディポンテべッキオに就職。色々学ばせて頂いた素晴らしい職場でしたが、自分の知識不足を痛感。もっとワインのことを知りたいと思う気持ちが強くなり渡仏を決意。資金稼ぎをするため、今は無き東三国のビストロ サヴァでは前職の助けもありワインを仕入れからやらせていただきとても充実した経験をさせていただきました。そして、2003年9月末フランスへ。

[2003-2004] Dijonの語学学校へ通いながら週末はワイナリー訪問。修了後夏季休暇中MarsannayのCharles AUDOIN、Morey-st-DenisのFrederic MAGNIENやHenri PERROT-MINOTで畑仕事を経験。
[2004-2005] Beauneの葡萄栽培と醸造の学校CFPPAへ。醸造研修をChateau Corton Andreで。畑研修はHenri PERROT-MINOTで。週末はとある小さなレストランで働き、フランスで初めてサーヴィス、ソムリエの仕事を経験する。学校終了後は研修期間も含め約1年PERROT-MINOTで経験を積む。
[2005-2006] Dijon大学付属の醸造技術コースに通いながらJerome Galeyrandで畑仕事、週末1つ星Auberge de la Charme(David Zudas)でサーヴィス兼ソムリエ補助。私より若いソムリエとの仕事だったが今までで一番尊敬するソムリエの一人。
[2006-2007] Champagneで仕事が決定。とても感動をうけたTARLANTで働くことに。醸造技術士の資格を生かせるようにとカーヴ責任者として沢山の貴重な経験をさせてもらいながら週末はBergeres-les-VertusのHostellerie du Mont Aimeでソムリエとして働き、沢山のシャンパーニュ、特にBlanc de Blancsを飲む機会に恵まれた。この頃、長男をエペルネで授かる。
[2007-2008] 同じくTARLANTで働きながら週末はReimsの自然派ワインショップLes Caves du Forumで働く。ここで沢山の造り手と知り合いそして偉大なテロワールワインを口にする。
[2008-2009] 同様TARLANT と Les Caves du Forumで働く傍らEpicerie AU BON MANGERを手伝い、フランスの最高級食材に触れ何よりも「人」として大切なモノも学んだ。

2009年8月完全帰国。帰国前から藤丸より熱心な誘いを受け入社。これまでの経験を早く活かせるよう業界の仕組みから勉強中。自分だからできる仕事をご提供していきたいと考えています。


福井 宏子

卒業後、4年間特殊効果の会社で働く。特殊効果のお仕事とはTVドラマの撮影時にカメラ前で桜吹雪・雨・雪を降らしたり火事のシーンで火や煙をたいたり等々、コンサートやイベントではドライアイスを出したり低温花火・銀テープ・シャボン玉を仕掛けたり等々 空間をデザインして目に見える効果を造る事。その時に外国人スタッフと働く機会も多く、いつの日か語学を学び彼らと直接コミュニケーションを取りたいと思い、オーストラリアに行く決意をする。
渡豪までの7ヶ月間京都のフレンチレストランでアルバイトをする。そこで生まれて初めて美味しいと思うワインに出会う。(銘柄はさっぱり覚えていないけど)それからワインに興味を持つようになり、試飲会や勉強会に参加するようになる。その影響でオーストラリアではワインショップでアルバイトしたことも。農場などで働きながらオーストラリア一周し、帰国。

オーストラリアで度胸がついたのか、リュック一つでイギリスに飛ぶ。レストラン、カフェなどで働きながらいつの間にか5年間をロンドンで過ごす。2009年3月完全帰国。

やはりワインの事が知りたくて、そして、ワインに関する職業に就きたくて思いを叶えるべく行動に移る。色々なお店をあたってはみるもののワインの知識も経験も無い私にはとても難しい話だった。諦めきれない気持ちで、パソコンに向かって調べものをしていた時、とあるワインショップのブログを読む。すぐにお店を見に行ったがその日は閉まっていたので、日をあらため電話をし面接を申し込む。未経験者だったので断られそうになったが、とりあえず会ってくれと頼み込む。なんとか面接にはたどり着いたがやっぱり断られそうに。。。絶対ここで働きたいと猛烈にアピール。藤丸が根負けし、仕事をゲットする。

ワインの知識・経験はほぼ無いに等しい私ですが、ワインショップで働いている事に幸せを感じながら初歩から歩み始めました。他のスタッフとは違う角度から皆さんのお手伝いをしていけたらと思っています。


荒槙 大(ワインアドバイザー)

小さい頃から食べることが大好きで、食いしん坊だった私が、広島を離れて東京に出たのは18歳のころ。さすがは大都会、旨いものにはこと欠かず(そう高価なものは食べられなかったけど・・)、アルバイトをしては食べ歩いたり、デパ地下やスーパーを回っては珍しい食材を見つけ、自分で料理したりしていた。

学生コンパで鍛えられた?ためかいつしかお酒も嗜むようになり、一丁前にどこのビールが旨い、あそこの日本酒が好きだ、などと語るようになった私が、ワインに出会うのにそう時間はかからなかった。ときはちょうどポリフェノールの健康作用にわく赤ワインブーム真っ最中。チリなどのワインがお手頃価格でコンビニやスーパーの棚に並び、また大学内にワインサークルまで誕生したこともあって、毎夜舌が真っ黒になるまでワインを飲みまくる日々を送った。

その後は都内のワインショップでアルバイトをしながら、学生時代にワインエキスパートを取得。卒業後はビール会社に就職し、ワインアドバイザーへ。ビールや発泡酒に比べるとまだまだ身近ではなかったワインだけど、スーパーや量販店の売り場で販促企画を担当し、多くのことを学ばせていただいたと思う。

しかしなかなか一つの仕事が続かず、退職してフランスに渡ったり、再び上京してワイン情報サイトの運営に携わったり、ワイン輸入会社へ転職したりと、落ち着きのない日々を過ごした挙句、また広島に戻ってワインショップへ就職。今度こそ自分の仕事として集大成を、という思いも空回りしてしまい、2010年の夏にはまた仕事をやめることに。

「ワインが好きという思いだけでは、仕事としてやっていけないのではないか?」「本当は自分にはワインの仕事は向いていないのではないか?」30代半ばという年齢もあっていろいろと悩み考えていたところに、出会ったのがワインショップFUJIMARUの藤丸さん。

今にして思えば、仕事に対していかに自分が甘い考えだったことか、またぬるま湯に浸かっていたことか、思い出すだけでも申し訳ないくらい。それでも、やっぱり、「ワインが好き」という今の気持ちに正直でいたい、そう考えて大阪へいくことを決意した。

いろいろ回り道をしてきましたが、生まれ変わるつもりで取り組んでいきたいです。「このくらいでいいや」といった自分の殻は破り捨てて、貪欲にチャレンジしていきたい。きっと今までの経験も、どこかで活かされるのではと思っています。

普段は、難波駅から近いクロスホテル内にあります、レ・パピーユ・ジャポネーズに常駐しております。どうぞよろしくお願いいたします。